Ⅱ部 俊頼と基俊の歌論 三 俊頼歌論 3 秀歌論

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おほかた、歌の良しといふは、心をさきとして、珍しき節をもとめ、詞をかざりて詠むべきなり。心あれど、詞かざらねば、歌おもてめでたしとも聞こえず。言葉かざりたれど、させる節なければ、良しとも聞こえず。めでたき節あれども、優なる心ことばなければ、またわろし。気高く遠白き(注1)を、ひとつのこととすべし(『俊頼髄脳』)

 

 ここで、俊頼は秀歌の条件を(1)「心をさきとして」(2)「珍しき節をもとめ」(3)「詞をかざりて」の三つをあげている。この歌の本質論に三つの条件をあげて論じる論理展開(注2)は、公任の『新撰髄脳』のそれと同じである。また、その後に続く各論の展開(注3)も『新撰髄脳』を踏襲して論じている(注4)もののようである。ここで、俊頼の論を便宜的に図示すると


としてよいだろう。

 「遠白き」は疑問になるが、顕昭本通り「おもしろき」であるなら、いままでみてきた俊頼歌論と対応しているようだ。〈心〉の論では、俊頼は、古歌の心、歌材の本意そのままをとって詠った歌を「珍しからず」として斥け、古歌の心や歌材の本意を工夫してとりなした新奇な歌を、「珍し」「をかし」と評価していた。さらに、〈詞〉の論では、歌の表現(詞・文字続き)は、安易な散文調を排し、心を適確に表すことのできる詞を選び、しかも過も不足もないものを「すべらか」「なだらか」として庶幾したことをながめてきた。この俊頼の歌論を、先の『俊頼髄脳』の記述に対応させてみれば、「古めかしき」心ではなく「めずらしき」心を、「すべらか」「なだらか」な表現で(詞をかざりて)、しかも、斬新な着想で趣向をこらして(めでたき節)詠むべきである。但し、趣向を凝らしていても、言い慣らされ詠い古されたままの心、「耳にとどま」る詞であったなら良くないと考えられないだろうか。

 

 それはともかく、歌合において、俊頼が秀歌だと認めたものを拾ってみたい。ところが、意外なことに、一つの難点も指摘せず、「珍らし」くしかも「なだらか」であると絶賛した歌は見受けられないようである。一方、厳格で教条的であると思われる基俊は、その判詞をみると、

已逸興あり。も[ はら]に嗟嘆すべし
これを吟ずるに老の心ともに惑ひぬ
 躰且閑麗可以慎記

というような評言がかなり存在し、実は、しばしば詠歎そのものと言える絶賛のしかたをしている。俊頼は、勝と判決した判詞をあげてみると、

珍らしげ無けれどもなだらかなり(内・残菊・一)

巧みに面白けれど、言足らず(内・恋・一)

言葉すべらかならねど心あるに似たり(花林院・桜・五)

古めかしきやうなれど、歌柄なだらかなり(花林院・郭公・二)

という具合に、心詞ともに完全に評価したものは無いに等しいと言ってよい。ということは、俊頼が庶幾する秀歌は、実は、きわめて実現困難なものであったのではないか。そこで、比較的、俊頼の考える秀歌に近いと思われるものをあげてみたい。

a 俊頼女子達(無名)歌合

葛城やつくりもはてぬ岩橋をいかでか霞の立ちわたるらむ

わたしも果てぬ岩橋をたちわたるらむ霞は、げにむかしの人もあやむべかりける事を、貫之、躬恒いかでいひのこし侍りけむと、めづらしさに

 b 同歌合 十番 千鳥 右

浦ごとに月の入り汐満ち来ればよる潟をなみ千鳥しば鳴く

 abいずれも、先にとりあげ論じてきたものである。aでは、達せぬ恋を本意とする序詞「葛城の中途絶えた橋」を春霞の景に転じた着想・趣向を、「めづらしさに」と評している。bでは、「和歌の浦潮満ち来れば潟をなみ葦辺をさして鶴鳴きわたる」という万葉歌を、「鶴」を「千鳥」とすることによって、まったく新しい叙景となっているのを、「めづらしうおもしろく聞こえ侍る」と評価したのであった。また、これもすでにあげたものであるが、少し変わった例をあげる。

  花林院歌合 月 七番 右(式部宮)

秋の夜の雲ふきはらふ嵐こそ月みる人の心なりけれ

    なだらかなり、詠み知りたる人の歌とおぼゆ

 俊頼の場合、「優」という評言はもちろん積極的に評価する場合に使用しているが、最も庶幾するのは「めづらしき節」ある歌であるということは、依然として背後に存在しているようである。「優」とは、古典的な美の規準に叶いつつ陳腐とは感じられないものに使われていて、「詠み知りたる」と類同する評言と対であるものも数例みることができる。しかし、この歌は、この歌合で判をしているもう一人の基俊が、すでに詠まれている歌であると喝破したように、

 冬の夜の雲吹き払ふ木枯やつき見る人の心なるらむ(天仁二年・冬・右兵衛師頼歌合・敦隆)

 と、かなり常套的な趣向・着想であった。このような心を、表現上「をぼつかなき」こともなく、過不足なく詠みえていることを評して「言葉なだらかなり」としたのであった。

 

 以上、俊頼が秀歌として庶幾していると思われる、〈心めづらしく〉(詞なだらか)を全て満たすと判断される歌は、結局見当たらなかった。ということは、そのような歌を実際に詠作するには、困難な何かが存在していたのかもしれない。つまり、そのような和歌的な情況にあったのかもしれない。このような情況を、歌論(理論)的にも、実作の上からも解決するには暫しの時間が必要だったのかもしれない。その辺の事情を次章で検討したい。

 

(注1)顕昭本では「おもしろき」とある。橋本不美男氏は「おもしめき」をとっておられる(東大『国語・国文』昭和51年1月)が、筆者も、根拠を示す力はないが、橋本氏の説を取りたい。


(注2)橋本不美男氏は、この秀歌論の論理構成を次のように分析されている。

「この総論のはじめは詠歌としての本質的に具有すべき条件論であり、まず1「心をさきとして」、2「珍しき節をもとめ」、3「詞をかざり」詠むべしとしている。1は先行する条件であるが、2・3は次に併行して求められる条件であると解される。」

「つぎには、(1)「詞」中心の各論が記述される。それはイ「心あれど」「詞かざらねば」結果として「歌おもてめでたしとも聞こえず」であり、同様に併存してロ『(心ありて)詞かざりたれど」「させる節なければ」イと同様に「良しとも聞えず」の造型結果となる。このつぎには(1)「節」中心の各論となると思はれる。すなわち(イ)「めでたき節あれども」とその節をささえる「優なる心」「(優なる)詞」がなければ「又わろし」ということになる。つぎの問題の本文を(2)「節」中心の各論(ロ)と分析すれば、「けだかくおもしろき」を「ひとつのこと」(当面の目標)とすべしと論じたことになりそれなりの論理構成として納得はできると思はれる。」

(注3)凡そ哥は心ふかく姿きよげに、心にをかしき所あるをすぐれたりといふべし

(注4)心姿相具する事かたくは、まづ心をとるべし。終に心ふかゝらずは、姿をいたわ(は)るべし。


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