Ⅱ部 俊頼と基俊の歌論 三 俊頼歌論 2 〈詞〉の論

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 俊頼の〈詞〉の論を考える上で、最初にみておきたいのは、歌病に対する俊頼の柔軟な姿勢である。

 

 長治元年 俊忠家歌合

   一番 郭公 右(道經)

待つ人も心空なるほととぎすいとど雲居に鳴き渡るかな

 左の方人達の、「空と雲居と同じ心の病にこそ」という指摘に、俊頼は、たしかに「山」と「峰」、「年」と「世」などを一首中に読み込んでいるのは同心病とするのがならわしだが、として、次のように述べる。

  これは同じことなれど、本に空といひて、末に雲居と詠みたるを節にしたる歌なれば、深きとがならずもや。

 

 花林院歌合 桜 六番 左(香雲房)

八重桜ふるき都に匂へども旧りずも花のめづらしきかな

 ここでも、俊頼は、「古と旧りとや病と申すべからむ」と一応指摘しつつも、「されど咎にはあらずもやあらむ」としている。これに対して、もう一人の判者である基俊にかかると、「すでに重言の病あり」と問題にするにも足らないという口調で一蹴される。

 

 この俊頼の姿勢は文字病についてもまったく同じである。

 ふるさとは吉野の山しちかければひとひもみ雪降らぬ日はなし

  故里はといへるはの字と、近ければといへるはの字となり。これともに悪しくも聞こえず。かやうの程の咎は歌によるべきなり。(『俊頼髄脳無』)

 と、歌の良しあしは、文字病(歌病)の教条性によって決められるべきではないことを、明確に意識し述べている。

 

 次に、字余りについて言及している判詞で注目されるのは、元永元年内大臣家歌合の次の箇所である。

 時雨 八番 左(盛方)

神無月御室の山の紅葉葉も色に出でぬべく降る時雨かな

 

五文字の六文字あり、七文字の八文字あるは常のことなり。それは聞きよきにつきて詠むなり。これはあらはに餘りたりと聞ゆれば、いかがあるべからん。

  歌病に対する柔軟な姿勢をみてきて、ここで字余りを難点としている俊頼の判詞は一見意外におもえる。しかし、ここの文脈からは、字余り=歌病という教条性は捨てつつも、やはり「色にいでぬべく」では「餘り」が顕著に感じられるとしていると考えるべきである。

 この俊頼の「感じ」に論理的根拠を与えるためには、別宮貞徳氏の『日本語のリズム』(講談社、昭和五十二年)の方法が有効であるように思われる。別宮氏の方法(注)によれば、例えば「降る時雨かな」は、

 フルシグ一レ一カナ

と二音ずつ意味分拍で区切れ四拍子になっていて、和歌本来のリズムを保っている。字余りの句でも四拍子に収まるのなら和歌のリズムを損なわない。例えば、「惜しくもあるかな」という字余りの句は、

 ヲシクモ一アル一カナ一

と四拍子になっていて、一方、例えば、「わが思ふひとは」という字余りの句は、

 ワガオモ一フ一ヒト一ハ〇

と五拍子となってしまい、和歌のリズムを損なってしまう。これと同じ操作で、「色に出でぬべし」を区切ってみると、

 イロ一ニ〇一イデ一ヌ〇一ベク一

と五拍子になってしまい、和歌本来のリズムを損ない「あらはに餘りたりと聞」える。俊頼の「感じ」にはこういう根拠が在るのかもしれない。

  

 歌病についての俊頼の姿勢とは対照的に、表現(「詞」「文字続き」)に「すべらかさ」「なだらかさ」を厳しく執拗に求めるのも、俊頼歌論の大きな特徴である。

 「なだらか」でないもの、「すべらか」でないものを指摘する評言は次のような一群である。

 おぼつかなく

 文字続きすべらかに聞こえず

 文字き幼きなり

 次第あしき心地ぞする

 すべらかに聞こえ侍らぬものかな

 歌詞とも覺えぬかな

 耳にとまる心地すれど

 言異にして

 (詞優ならず)

 

 これらは、元年内大臣家歌合から抜き出したものであるが、他のどの歌合においても、この表現(詞・文字続き)の「なだらかさ」「すべらかさ」を要求する評言は頻出する。基俊が表現(詞)の適不適を問題にする場合は、古歌本文や本意をあげつらい考証し,「聞き馴れ侍らぬ」「滑稽の詞にこそ」「なずらへ申すべき方無し」「さやうのこと見給はぬ」と論難するのが常であった。ところが、俊頼が表現(詞)に論及する場合、大半が「すべらかさ」「なだらかさ」にかんすることであると言ってよい。

 

 俊忠家歌合

 三番 五月雨 左(仲正)

五月雨は絲我の里の引繭も絶えねとすれや晒すひま無み

 左歌、めづらしき節に思いひよられたりと聞こゆるは、絲我の里などのすべらかにも聞こえねば、末の無みなどのけはしきにや。

 基俊の判詞にはその批評方法によるのかもしれないが、印象批評的なものが目立つが、それに対して、俊頼の判詞は分析的な批評がかなり多い。ここでも、五月雨の降る絲我の里を引繭と取り合わせた着想を、俊頼の庶幾する「めづらしき節に思ひよられた」歌であると評価し、ではなぜ「めづらし」なのか、と言及していく。それは、「五月雨」という心を「引繭は晒すひまか無いので、絶えてしまえというのか」と詠んでいる着想が「めづらし」のであり、さらにまた、縁語的な連想で「絲我の里」という地名を据えていることが「めづらしき節に思いよられたり」と言える理由である、と俊頼は考えているらしい。

 ところが、そう評価できるが、「文字續き」が「すべらかに」聞こえないと指摘する。それは、多分、末に「無み」という詞があるからだと俊頼は考えている。「無み」は、形容詞の語幹に「み」がついて体言化したものだが、原因理由の意味合いをもって置かれている。しかし、これが五句の末に置かれているのは唐突に感じられと俊頼はみている。事実、このような「無み」の用い方をした歌は見当たらない。

 

 元年内大臣家歌合

 時雨 四番 右(雅兼)

冬来れば散り敷く庭の楢の葉に時雨おとなふみ山邊の里

  この歌に対しては、まず、「古歌を悪しざまに取りなしたる」と批判し、次に、「散り敷く庭の楢の葉」では「次第惡しき心地ぞする」と表現上の難点を挙げ、基俊は勝としたこの歌を負にしている。つまり、この「散り敷く庭の楢の葉」という表現は、意味の流れからは「楢の葉散り敷く庭の」とするのが自然であり適当であると考えている。

 

  花林院歌合

 雪 五番 左(弁得業)

うち霧らしあま霧る空と見しほどにやがてつもれる雪の白山

 うち霧らし心得ず。「ふり霧らし」といはばやな。又、末の雪の白山心得ず。白山の雪とぞ次第いはまほしき。上におけばなだらかならぬなめり。

 

 「雪」であるのだから、「うち霧らし」より「ふり霧らし」という表現がふさわしい。「雪の白山」では、雪が降る前にすでに雪が積もっているように思える。「うち(ふり)霧らし天霧る」雪が降り積もるのだから、「白山の雪」の語順にした方が「なだらか」に聞こえる。つまり、ここでは、意味の流れと表現上の流れが合理的に対応しているものを「なだらか」と考えているとみてよい。さらに、「なだらか」「すべらか」の条件を俊頼はどう考えているのか、同じく花林院歌合からいくつか検討したい。

 

a 桜 三番

   左勝     世字治山老隠

うき世にも花のさかりになりぬればもの思ふ人はあらじとぞ思ふ

   右     大輔已講

散らざらむことこそ花の難からめ陀びてはさても暫しあらなむ

 左歌…(略)…思ふといへる詞ぞ二所見ゆめる。句を続けつれば咎なしといへば、さてもありなむと思ふ給ふれど、次の思ふが句のはじめにあらましかばとぞ見る。

 右歌は、陀びてはなどいへるより末まで稚げなり。歌とは聞こえで、平言葉に似たり。

 

b 桜 四番 右(真常房)

今年もやあだに散りぬる山ざくらさもあさましき花のくせかな

 

くせかななどいへる、深き難にはあらねど、耳とまりて聞こゆれば…(略)…

 

Ⅽ 桜 六番(慈光房)

都いでてかりそめに來し山里の花に心のからめられぬる

 

《末のからめらるといへる言葉おびただし。古き言になきことにはあらねど、なほ耳とまる心持してぞ。》

  a 左歌では、「思ふ」が重複して出ていることを難としている。三十一文字という決定的に短い詩型で、意味としてもまったく同じ「思ひ」が二度使われる表現は、やはり弛緩浮薄と感じざるをえない、というのが俊頼の真意であろう。また、右歌の「びてはさても」というような散文調の言い回し(表現)も、三十一文字の詩型には単調にすぎ、「歌とは聞こえで、平言葉に似たり」とするのももっともであろう。

 bの俊頼判詞は、「くせかな」の特に「くせ」を難じたものである。「くせ」とは、

すこし心にくせありては、人に飽かれぬべき事なむ、おのづから出で来ぬべきを(『源氏物語』梅枝)

むつかしき世のくせなりけり(『源氏物語』真木柱)

にみられるように、習慣・ならわしを否定的側面から意味しているようである。恐らく、桜があだに散っていくのを、その「くせ」という詞でとらえた表現を「耳とまりて聞こゆ」、つまり、仰々しくてふさわしくないと評している。

 Ⅽの歌の「からめらる」という詞を詠みこんでいるものに、

 道のべのうまらのうれに這ほ豆のからまる君をはかれかゆかむ(万葉集・巻廿・四三五二)

があるが、俊頼は「古き言になきことにはあらねど」と典拠をとらず、表現としての適・不適という点からその難を指摘する。つまり、「心をとらえてはなさない」というほどの心を「からめらる」では仰々しすぎて「耳とまる心地」するとしたのである。

 このような例はまだいくつもある。「冬はふたたび」というような散文調の言い回し(表現)は「優にもな」く、また、「ふたたび」どうなのかが曖昧で「言い足らぬ」(桜・七番・右)「くらくはくらく」もまったく散文の一説で「歌ことば」とは思えない。さらに、意味内容から見ても、まるで「腹あしき人」が言うような口ぶりである(郭公・三番・右)。「板間より」という詞は、初句のはじめに置くのは「古の人」も良くないとした。というのは、はじめに「板間より」と置くと散文の一説のように聞こえ、「荒れたる宿の板間より」というふうに、上に歌らしい修飾句を置いて言いなせば、不興な散文調も「紛れて」聞こえてくるものだ。俊頼は、個々の歌の個々の表現(詞)の難点を指摘しながら、かなり具体的にまた分析的にその難点を論じてゆく。

 

 俊頼の求める「なだらか」「すべらか」である表現(詞・文字続)とは、この二語の違いは今はおくとして、安易な散文調を避け、一首の心を適格合理的に表すことができるように練り、過も不足もないような詞を選ぶべきであるという条件を満たすものであると考えてよい。俊頼が「なだらか」としたもののうちの一つに次の歌がある。

  俊頼女子達(無名)歌合

  月 七番 右(式部君)

秋の夜の雲ふきはらふ嵐こそ月みる人の心なりけれ

 

月みる人の心なりけれといへる心優なり。言葉もなだらかなり。詠み知りたる人の歌とおぼゆ

  おそらく、「心優」「詠み知りたる」ということと、「なだらか」であることは、俊頼にとってはメダルの裏表の関係にあるものであった。ここでは、「優」なる心を適格説得的に表現するため、理に叶った過も不足もない表現をしていることが「なだらか」と受け取られている。

 

(注) 別宮氏の方法の要諦は次のようである。

   ① 日本語は二音節ずつ一つにまとめて組み立てられることを特徴とする。

   ② 二音節に区切る区切り方には、音数分拍と意味分拍が考えられる。

   ③ 意味分拍の場合、語頭・語尾以外にも休止(一拍)がはいってくる。

   ④ この方法から分析すれば、和歌は、四・四・四・四からなる四拍のリズムである。


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