Ⅱ部 基俊と基俊の歌論 二 基俊歌論 1〈心〉の論
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まず、証文本歌を求め本意を尊重する例を、いくつかの歌合から抄出して、基俊歌論の核に接近する糸口としたい。
時雨四番
左 基勝 顯仲
水鳥の青葉の山やいかならむ梢を染むる今朝の時雨に
右 俊勝 道經
かさ曇り蜑の小舟に葺く苫の下しほるまで時雨しにけり
時雨は春雨五月雨のように「つくづくと降る物」ではないので、右歌のように「下とほるまで」降るとは思われない。それより、「いみじく古め」いてはいるが、左歌のほうがまだ良いとしたのが基俊である。俊頼は、ひだりうたの、〈時雨―葉を紅葉させる〉という修辞的な虚構を「青葉の山」と安易に結び付けている着想・趣向を、「無下にあらはなり」と問題にもしないかのような口吻である。右歌は、基俊が指摘する通り「思ひかけぬ様」であるが、しかし「過にはあらねば」として勝にする。この番では両者の判詞は鋭く対立していて、あくまで本意にこだわる基俊と、古めかしいよりは新奇なほうがよいとする、両者の対比があざやかに示されている。
同じ「時雨」の六番で
右 俊勝
雅光
木の葉のみ染むるかとこそ思ひしに時雨は人の身にしみにけり
に対して、俊頼は「いかなる色にしみけむ」と表現の不足を指摘しながらも勝にしたが、基俊は、「人の身にし」むとは「いもりのしるなどのやうに聞え侍るかな」と口を極めて扱き下ろす。
同歌合・恋・一番左(摂津公)の「絶えず焚く室の八島の煙であると指摘しつつも、「ただしまことの煙とのみ詠み來ればなどかさもいはざらむ」と柔軟に解釈して勝と判決する。対する基俊は、その「室の八島」を詳細に考証し博識なところを見せ、結局、「絶えず焚く」と詠んだ古歌はないとして、さらに、「室の八島」の本意を説きこの歌が歌枕の本意に悖り取り所がないと扱き下ろす。これと同じく、歌枕の本意ないしは典拠へのリゴリズムは、同歌合・恋・十二番・左(為実)に、「高浜の浜」を詠むのなら「波」という詞を続けて詠むものだと、貫之の歌をあげて論難するなど、基俊歌論に抜きがたい要素である。
天治元年・春・『権僧正永縁花林院歌合』をみても、基俊のこの本文証歌を求め本意を尊重するリゴラスな典拠主義は一貫している。
月・六番では、「有明の月」と「朝倉山」を取り合わせて詠んだ左歌も、「なびき藻」と詠んだ歌も、古歌に見当たらないとしてともに斥けられる。雪・四番・雪に埋もれた水の面とか、鳰鳥が鳴くなど未だ聞いたことがないと、方人達が取り付く島もない勢いである。ほかにも、「千年の色」とは「水色」ではなく「紅」である(祝・一番・右)とか、「うちむれる」のは「鶴」に言う詞であるとか、「小松葉」ではなく「小松の葉」と言うべきである(祝・四番・左)といった調子である。
この基俊のリゴラスな典拠主義は、保安二年九月十二日『関白内大臣家歌合』(注)で、驚くべき頻度と密度を持って展開される。
山月 一番 左(女房)
木の間よりいづるは月のうれしきに西なる山の西に住ばや
基俊は、この歌に対して、月は山の端より出るもので、木の間から出るべきではない、さらに、月待つ心は東山の東に住むと読むべきで「西なる山の西」では本意に悖ると手厳しく批判する。
同 二番 左(俊頼)
今宵しも姥捨て山の月を見て心のかぎりをつくしつるかな
この俊頼歌に対しても、姥捨て山の月はなぐさめがたき心を詠むのが本意で、心を尽くすとは詠むべきでないと断じている。
その他、「さしのぼる」では月とは思われず、高瀬舟のように聞こえる(山月・三番・左)。尾花は、波と見まがうほど群生するものではなく、一叢ずつ招くように生えるものである(野風・二番・左)。旅人がするとは古歌にも見たことがない。また、「猪名野」は「猪無野」であるので、猪が「枯草掻く」では矛盾している(野風・三番・左)。「尾花ふきまく」と表現した古歌は見当たらないし、尾花を雪と見まがうと読んだ古歌もない。雪と見立てるのは桜であるべきだ(野風・四番・右)
「宮城野」には、妻恋う鹿が住んでいるのであって、猪の床など聞いたことがない。「秋かへすさや田」とか「根ごとにも身」など、「言葉卑しくて」取りどころがない、という調子でことごとく論難し斥ける。
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