Ⅰ部 公任歌論の基底と頂点  四 公任歌論の頂点

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 では、上品上の例歌(c1、c2歌)と上品中の例歌は、どのような差異があるのだろうか。上品上の例歌を再度記しておく。

 

a1 春立つといふばかりにやみ吉野の山もかすみてけさは見ゆらん

a2 ほのぼのと明石のうらの朝霧に嶋がくれゆく舟をしぞ

 

 上品上と上品中の差異を言い分けるのは不可能ではないのか。公任の評語によれば、「ことばたへ」(上品上)と「ほどうるはし」(上品中)の差異としてのみ記されている。公任の意図を逸脱してしまうかもしれないが、出来うる限り公任の読みに近づくことが出来る地点まで解釈補遺を拡げていくしかないようだ。

  a1歌は、公任はこれを『拾遺集』の巻頭歌にも採っていて並々ならぬ評価を示している。この忠岑の歌は、一見平易に詠み下されているように見えるが、かなり巧みに詠みこなされていると言うべきだ。吉野山がかすんで見える景を、暦の上で立春が来たからだと説明づけている。つまり、眼前の景と暦上の観念を結びつける趣向によってつくられている歌である。このような歌が、どういう意味ですべての頂点に立つ至上の歌とされているのだろうか。

 この歌は、立春に歩調を合わせるように、吉野山にはじめて霞がかかっているのを見て驚いて詠んだものだろうか。それとも、吉野山にはすでに幾日か霞がかかっていて、立春という暦上の事実によってはじめて霞に気づいて驚いたのかもしれない。また、『拾遺集』の詞書に「平貞文が家の歌合によみ侍りける」とあるが、抑々、立春の日に霞のかかる吉野山を見たのかどうかも、ほんとは疑わしい。しかし、この一首は、この解釈の可能性の何れにも決定しがたく、むしろ、何れの解釈も許し包み込んでしまう何かがある。この何れも包み込んで景だけが迫り出すように残るのは、景や心のディテールを出来うる限り削り、二三の描線で描くように詠い下すことによってもたらされている。歌に即して言うと、〈春立つ日〉という観念と〈吉野山の霞〉という景が、「や―らむ」という係り結びによって単一に結びつけられている。そして、この結びつきが強い蓋然性を持っているのは、〈立春―霞―吉野山〉が、和歌の、平安朝貴族の基準的な類型美を背景としたインティメートな言葉の連鎖をなしているからである。この平安朝貴族の基準的な類型美に叶ったインティメートな言葉の連鎖を、公任は「こたばたへ」と評していると思われる。春霞のかかった吉野山の景と、早春の明るくのびやかな雰囲気が、自我のはからいを越えて漂ってくるのは、そうした無技巧の技巧といえる巧みさによってもたらされている、そう公任は読みとり評しているようだ。

 

 a2歌にしても、「ほのぼのと」という初句は絶妙であろう。有心の枕詞とも言うべきで、「ほのぼのと明けてゆく明石の浦」「朝霧の海がほのぼのと明るくなってゆく」の二様が一首全体に解きほぐし難く拡がり作用している。その明石の浦に立って嶋に隠れゆこうとする舟を思いやっている心の心許なさや寂寥が、一首を詠み了えた後深く重く残っている。その心の背後には、どのような物語や行く末があるのかといったはからいを越えて、人の心の根源に在る孤独をイメージ化している、とまで読んでしまったら、公任の読みと意図を踏み外しているであろうか。

 

 上品中と上品上の差異は、ともに、『古今集』以来和歌表現が錐揉むように昇りつめた先端にある至上の歌であるが、公任は、上品中(c1、c2歌)の趣向の斬新さより、上品上(a1、a2歌)の基準的な類型美の極限をとったことによるとしか言いようがないようである。



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