Ⅰ部 公任歌論の基底と頂点  三 公任の余情論

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  壬生忠岑の考えている〈余情〉は、「詞標一片義籠萬端」と明解に説明されつつも、一首の意味内容からと、表現されていないが大きなふくみを持った心が残ってくる、という二様が混在していた。

 忠岑が「余情体」の例歌としてあげている五首は、b4歌を除いて『金玉集』にも『深窓秘抄』の何れにも採って、公任が秀歌と認めているものである。しかし、公任の〈あまりの心〉と忠岑の〈余情〉とは微妙に違って見える。その違いは、ここで結論めいた印象を述べてみると、一つは、〈あまりの心〉について忠岑のような混乱や曖昧さが無くなり、概念として明確になったことであり、〈あまりの心〉にある種の方向をあたえたことにあるようだ。

 

 公任が『和哥九品』で〈あまりの心〉ありとしたのは、先に挙げた上品上のa1a2歌の他に、上中の例歌二首である。

c1 み山にはあられ降るらし外山なるまさ木のかづら色づきにけり

c2 あふ坂の関の清水に影見えて今やひくらむ望月の駒

 

 順序として逆になるが、ここで、c1c2歌から少し立ち入って考えてみたい。

 c2歌については、定家著に擬したとされる『愚秘抄』に、公任と高遠の逸話が語られている。病床にある公任のもとへ高遠が訪れる。病気の見舞いではなく、c2歌と高遠自作の

   逢坂の関の岩かど踏みならし山たちいづる霧原の駒

 とを比較して、「一二反までは、きり原の歌殊に勝りてきこえ侍るが、三四反にもなりぬれば、などやらむ貫之の歌のはるかに勝りて聞こえ侍るは如何なる事やらむ」という質問に答えてもらうためであった。公任は、高遠の歌への執心を褒めて言うには、

   此歌の勝劣は貫之が歌はさせるふしもなくなびらかにいひくだせり。霧原の歌は詞のよせ巧みにして、上手ならでは思ひよりがたき類なり。さるあひだ一二反は勝りて聞こゆるにこそ。

 『愚秘抄』そのものが偽書であり、公任と高遠のやりとりが事実かどうか疑わしいが、公任の評言のポイントは、技巧を凝らした歌は初めは目立ってみえるが、なだらかに詠みくだした歌には及ばない、ということになる。高遠歌は、『愚秘抄』が言っているように、「たち出づる霧」と「たち出づる駒」の両意に掛ける掛詞を巧みに使っている。ところが、c2歌は「させるふしもなく」と言えるだろうか。まず、『拾遺集』の詞書きからみると、高遠歌が実際の場に即して詠んでいるのに対して、c2歌は屏風歌であり、さらに、「今やひくらむ」と逢坂の関から隔たった場所での詠作であるというように、作歌事情はc2歌がかなり複雑である。そしてさらに、c2歌が、清水に映る駒―その背景の月光という叙景になっているのは、〈清水―影―望月〉という縁語の技巧が欠かせない要素になっている。だから、「させるふしもなく」ではなく、「させるふしも」感じさせない、と言うべきである。「させるふしもなく」感じさせるのは、縁語と叙景の親和性による―「望月」と「影見えて」との縁語関係によって月光が射しているように暗示し、それを馬の姿が清水に映ずる背景としており、その景が親和的であり立体的であるため、技巧が技巧として目立つことなくイメージが鮮明に浮かんでくる。さらにまた、和歌的な、平安朝貴族の基準的な類型美が、この親和性の背後を支えていることも見逃すことが出来ない。そこが、高遠歌の掛詞の巧みさを重点にしている歌と違い、c2歌が優れている所以である、と公任は読みとり評していると考えた方が良いようだ。

 c1歌は、忠岑は「神妙体」の例歌にしている。『古今集』の部立では「大歌所御歌(神遊歌)」に入り、「正木の葛」は採物であり、この歌のモチーフが神遊歌であるという意識が「神妙体」とする根拠になっている。しかし、公任はこの歌を忠岑とほとんど異なる意識で読みとっていたようである。この歌は、眼前の事実から遠隔を想像推量する、『古今集』以来自覚的に使われた表現技巧によっている。しかし、これが単なる技巧と感じられないのは、〈色づく葛―あられ〉が〈深山―外山〉の距離とうまく釣り合いを保っているからだ、というふうに公任は読んでいたのだろう。つまり、公任は忠岑と違って優れた叙景歌として読みとっていた。

 

 では、この二首の〈あまりの心〉とは何を意味しているのだろうか。その前に、この二首の共通性を抽出すると、まず直ぐ言えるのは、ともに叙景歌であると言うことである。次に、技巧を技巧と感じさせない巧みな歌であり、「させるふしもなくなびらかにいひくだ」(愚秘抄)していることである。更に付け加えるなら、遠隔を想像した景が一首の眼目になっていることがあげられる。恐らく、この中に公任が〈あまりの心〉ありとした根拠が隠されている。

 

 ここで少し普遍化して考えてみたい。今まで表現〈技巧〉という言葉を使ってきたが、もちろん、巧みな言い回しで飾り立てる謂いではない。現在まで様々な視点から論じられてきたことであるが、掛詞・序詞・比喩・物名・見立て・擬人法などの『古今集』以来獲得し蓄積されてきた、いわば〈修辞的な虚構の言葉〉によって、表現域を拡げ深めることになった。心理の機微をより微細に捉えることになり、自省的反省的な意識を、表現を通じて表出し、自在なメタフィジックを表現として織りなすことが出来るようになった。

 公任の〈あまりの心〉は、このような表現を上り詰めたところに在ると考えられている。ところが、公任の――と言うより、拾遺時代の和歌の現在が―〈修辞的な虚構の言葉〉を駆使してどこまでも昇りつめても、ある具象的な心やそれと結びついた景は、他と置換可能性を持たざるを得ない、という考えの方に進んでいるようにみえる。恋歌だけでも、忍恋をはじめ聞恋・見恋・待恋・祈恋・寄雨恋・等々無数にあり得るし、事実無数に存在する恋の具象歌から至上の歌を選び出すのは難しかったであろう。


 では、歌から具象性を出来る限り排除したら何が残るだろうか。陰影が少なく、単色な、含みの巨きい景が浮かび上がってくる。公任の庶幾した至上の歌、〈あまりの心〉ある歌はそういう歌であった。

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