Ⅰ部 公任歌論の基底と頂点  一 序

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a1 春立つといふばかりにやみ吉野の山もかすみてけさは見ゆらむ

a2 ほのぼのと明石の浦の朝霧に嶋がくれゆく舟をしぞ思ふ

 

 『和哥九品』で、「これはことばたへにしてあまりの心さへある也」として「上品上」にとられた歌である。この例歌と評言は、いわば公任歌論の頂点を示している。ここから公任の嗜好と歌論の核を読みとることができるであろうし、また敷衍してみれば、拾遺時代の和歌の実相をとらえる手がかりになるかもしれない。

 

しかしながら、『和哥九品』の手短な評言や、初学者のための手引き書、実作理論書とされる『新撰髄脳』から、公任歌論のパースペクトを得るのは難しい。公任の述作としてほかに、『如意宝集』(断簡)、『深窓秘抄』、『金玉集』などの私撰集、さらに、『前十五番歌合』、『三十六人撰』、『三十人撰』の秀歌撰が知られている。先に挙げた三つの私撰集の歌数は、『如意宝集』54首、『金玉集』76首、『深窓秘抄』101首である。各々に採られている歌を検討してみると、意外なことに、『如意宝集』、『深窓秘抄』、『金玉集』などの私撰集、さらに、『前十五番歌合』、『三十六人撰』、『三十人撰』の秀歌撰が知られている。先に挙げた三つの私撰集の歌数は、『如意宝集』と他の二つとは重複する歌が二首(注1)しかない。これと対照的に、『金玉集』と『深窓秘抄』とでは重複数が53首存している。『金玉集』と『深窓秘抄』とは親近性を持っている、というより、『深窓秘抄』をさらに厳選してできたのが『金玉集』であるといっても過言ではなさそうである。(注2)

 公任歌論は、『和哥九品』と『新撰髄脳』さらに『金玉集』とから窺うことになるが、公任自身の少ない評言と例歌から逸脱しない範囲で、解釈補遺する方法をとらざるを得ない。

 


(注1) この二首は三つの私撰集と重複している。次の二首である。

       冷泉院御時屏風に     兼盛
     人しれずはるをこそまてはらふべきなきやどにふれるしらゆき
                    坂上是則
     みよしの やまのしらゆきつもるらしふるさとさむくなりまさるかな(なり)

(注2) 山田孝雄『日本歌学の源流』(日本書院 昭和二七年)

     「この金玉集は深窓秘抄や十五番歌合や三十六人撰などより一層嚴撰したものであらう。」

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Ⅰ部 公任歌論の基底と頂点  二 余情論の先駆